Route66ドライヴ記(4) グランド・キャニオン 〜 ギャラップ

5月30日(金)〜6月1日(日)
 グランド・キャニオンを出発してフラッグスッタフへ向かって山を下ってい
るとろです。
 この辺の景色も極めて雄大で豪快です。
 グランド・キャニオン渓谷にあったようなごつごつした赤色の岩があちらこ
ちらに見える荒野をなだらかに下っています。
 日本の何処の景色に似ているかと言えば、昭和30年代の九州熊本の阿蘇山
の風景を10倍位大きくしたようなところだと思って下さい。

  ところで、この項ではアメリカの人種について話をしたいと思います。
まず始めに、これは鈴木太郎さんにご注意頂きましたが、現在のアメリカで
はインディアンをネイティヴアメリカン、黒人をアフリカアメリカンと呼ぶこ
とが正しい呼称になっているようですので、この項もこのようにさせて頂きます。
 私は今までアメリカ人イコール白人と言う漠然としたイメージで捉えていました。
 戦後日本にきた駐留軍の米兵もみな背丈の高い白人でしたよね。
 確かにアフリカアメリカンもいることはいましたが、その人達は少数でネグ
レクトしてしまっても良いように思っていました。
 ところが、この度アメリカの南西部を何日もドライヴしてみて私の漠然とし
た認識が極めていい加減で間違っていたことが分かりました。
 アメリカには斯くも大勢のネイティヴアメリカンがいること、また、アメリ
カには有色人種ばかりで白人が居ない街もあったのです。
 アリゾナ州やニューメキシコ州はもともとナバホ、ズーニ、ホピ、アナサジ
と言うの種族のネイティヴアメリカンが住んでいた地域であり、州の南端はメ
キシコと国境を接していてメキシコ人も多いので、このようなところもあるの
でしょう。
 白人が居ないと言うとオーバーな表現になりますが、ニューメキシコ州のギ
ャラップと言うところでは、街を歩いている人達を見てどのように数えても白
人は10人に1人も居ませんでした。
 この街の状況はまた後で触れるとして、阿蘇山を10倍大きくしたグラン
ド・キャニオンからの降り道に戻りますと、赤茶色した荒野の所々にジョン・
フォードの西部劇に出てくるような大きな岩が突き立っています。
 ここへ来れば西部劇のロケーションの場所にはこと欠くことはありません。
 この周辺には一見して人の住んでいる気配はありません。
 しかし、よーく眼を凝らして見ると赤茶色の砂漠の中に同じような茶色をし
た小屋風のものがポッーンとあります。
 これがネイティヴアメリカンの住居だったのです。
 私達が走っている道路の所々の両側にごく簡素な小屋をかけて彼らが自分達
の作った民芸品を売っています。
 その一軒に車を停めてみました。
 彼らが売っているものは銀製品にこの辺で取れるトルコ石を嵌め込んだジュ
エリー、木彫りの人形(カゥラィジャー?)、色彩鮮やかな織物、ドゥリーム・
キャッチャー(テント小屋の入り口等に掛けてある飾り)等でありすべて彼ら
の手作りのものなのでしょう。
 私達が走っている道路はウィークディーには車の通行量も少なく、車を停め
てネイティヴアメリカンの民芸品を売っている店に寄る人はほとんどいないよ
うでした。
 私達が小屋の中に入って行っても、少しも愛想の良い顔をしないネイティヴ
アメリカンのおばさん。彼らはとてもシャイなのだそうです。
 灼熱の太陽の下で一日こうしていて一体どの位の収入があるのでしょうか。
 私は彼らの収入が気になるのと同時に、この辺、アメリカの南西部は一体誰
の土地なのでろうかと考えてしまいました。
 元を正せばここは彼らの土地であったはずです。
 白人は東部からやって来て道路を作り、町を作り、鉄道を敷いて、石油を掘
りネイティヴアメリカンの従来からの生活を台無しにしてしまったのではない
でしょうか。
グランド・キャニオンの周辺には千年以上も以前からここに住んでいた種族
もいるし、お隣のニューメキシコ州にはかなり高度の文明を持ち、二千年も以
前から農耕生活をしていたアナサジ族の二千人規模の集落跡が発見されていま
す。
 現在、彼らはReservation(居留地)と呼ばれる限られた地域に収容されて生
活をしていますが、その暮らしぶりは遠く道路から眺めて見ても決して優雅に
は見えません。
 昔よく見た西部劇映画では正義は常に白人側にあり、インディアンは常に悪
役でしたが、今ここへ来て現状を見ると、そう単純な色分けは出来なかったの
ではないかと思わざるを得ません。
 道路がフラッグスタッフに近づくに従ってネイティヴアメリカンの集落も規
模が大きくなり、その数も増えてきます。
 しかし、何れを見ても貧しさには変わりなく、それなりの生活保護を受けて
暮らしていることには違いないようでした。




フラッグスッタフで二泊した後で、ニューメキシコ州のギャラップに向かい
ました。
途中にPetrified Forest Nat'l Parkと言う木が化石になっているところを通
過しました。
 木は通常は朽ち果ててしまうので化石にはなりませんが、ここではその昔近
くに隕石が落下した時に、森林の木が瞬時にして化石になってしまった珍しい
場所です。
 国立公園の中の化石は持ち出しが禁止されていましたが、国立公園内のお土
産物屋では木の化石を売っていましたので、一つ記念に買ってきました。



ニューメキシコ州に入ると直ぐにギャラップと言う町があります。
 ここが白人の居ない町だったのです。
 モーテルのフロントマン、部屋を掃除する女性従業員、レストランの従業員、
ショップの売り子、街路を歩いている人の誰もがネイティヴアメリカンかメキ
シコ人のようでした。
 私達はネイティヴアメリカンの集落かメキシコの町へ来たような気がしました。
この街にはRoute66ドライヴ記(3)にても触れたNHKの地球に乾杯「ノ
スタルジック・ハイウエイ ルート66をゆく」で紹介された"Richardson
Trading Co."と言う名物店があります。
 この店の中には驚くほど沢山のネイティヴアメリカンの民芸品や馬具が所狭
しと置いてあります。
現在の店主のリチャードソンさんは創業者から三代目で、当初はインディア
ン交易所であったそうです。
 この店にはギャラップの周辺に住んでいる多くのネイティヴアメリカンが彼
らの作品を質入れしたり、売りに来ます。
 5ドルから2,000ドルまでの物であれば何時でも気持ち良く受け入れ、
質入れした物は彼等が不要になるまで何時までも預かっておくよ、とリチャー
ドソンさんは言っていました。
 ネイティヴアメリカンとの良好な関係がこれだけの店を長年に渡り繁盛させ
ているようです。
 私はこの店でホピ族の木彫りのお人形と赤い色鮮やかな織物を買って帰りま
した。

また、この町の中心部にはコンクリート製の立派な"MIYAMURA BRIDGE"
と言う陸橋があります。
 この橋の名前になった日系二世の宮村ヒロシさんは朝鮮戦争の時に、日系二
世で勇敢な軍人として唯一最高栄誉賞をもらった英雄です。
宮村ヒロシさんはギャラップで生まれ、ギャラップで育ち、現在でもこの町
で奥様と二人で元気に暮らしておられるそうです。
 遠くニューメキコ州のギャラップに来て、白人の居ないアメリカの町に日系
二世の英雄が住んでいる、あー来てみなければ分からないなーと思う一日でした。